縦乗りと礼儀
日本人だけが見えていない世界がある ─── この日本人だけが持つ盲点の存在を御紹介致します。
縦乗りとは何か
縦乗りとは、日本語を母国語とする人だけが持っている、ある種のリズム感覚の欠落を指します。ここでいうある種のリズム感覚とは、英語などの日本語以外の言語が持っているストレス拍リズムに基づいた言語を母国語として話す人々が自然に持っているリズム感覚です。そのリズム感覚を持たない日本語を母国語とする人が演奏や作曲を行うと、そこに独特なリズム感覚の欠落が残ります。この欠落は、そのリズム感覚を持つ人から見た時、とてもはっきりとわかる非常に明瞭なものです。この欠落は日本語以外の言語を母国語とする人々に対して常に一定の違和感を与えます。 問題は、このリズム感覚を持たない人が、そもそも彼が持っているリズム感覚の存在自体を認識できないことです。つまりあるリズム感覚をもつものと、あるリズム感覚をもたないものとの間に、違いがあること自体を認識できないのです。リズム感覚を持たない人たちは、感覚を持たないがために、無意識のうちにその感覚を持たないものだけを選んでしまうのです。そしてこの偏りを、そのリズム感覚を持つ人は明白に認識しています。しかしリズム感覚を持たない人は、その偏り自体を認識出来ません。
日本語を母国語とする人だけがもつ独特なリズム感覚の盲点 ─── それが縦乗りです。
ここでは、日本語を母国語とする人々を日本人と呼ぶことにします。そして、この日本人だけに生じるリズムの欠落を縦乗りと呼ぶことにします。そしてここでは、日本人だけが欠いているこのリズムを横乗りと呼ぶことにしましょう。
言語音韻学から見て言うと、横乗りの正体は世界の大半の言語が持っているストレス拍リズムです。そして縦乗りの正体は、世界で唯一日本語だけが持っていると言われるモーラ拍リズムです。
縦乗りに良い悪いはない
縦乗りはしばしば良い悪いの問題として認識される傾向があります。日本のミュージシャンにリズムの話を向けると即座に「リズムの違いなど気にするほうがおかしい」「そんなものを取り沙汰するお前の頭がおかしい」等々の自己正当化を続ける人々が大勢やってきて自分に言い聞かせるかの様に執拗に批判を続けます。
しかし縦乗りはそもそも必ずしも悪いものではありません。事実、縦乗りは外国人からはしばしばエキゾチックで魅力的な要素として捉えられているのです。日本の音楽はしばしば『日本のゲーム音楽』や『日本のアニソン』といった形で広く認知されており、その独特のリズム感が『日本らしさ』『エキゾチックさ』『興味深さ』として魅力的に映っているのです。つまり縦乗りは日本文化の大きな魅力のひとつです。縦乗りは良いものなのです。そして縦乗りは、大きな魅力であると同時に、日本人がジャズやクラシックなどの海外の音楽を本格的に模倣しようとする時に限って、大きな障害として経験されるのです。
日本人だけが気付かない縦乗りの違和感
日本人がクラシックやジャズ、R&Bなどを本格的に模倣しようとすると、海外の人々にとっては『堅苦しい』『楽しくない』『息苦しい』といったネガティブな印象を与えてしまうことがあります。これとよく似た状況は、外国人が日本語の俳句を真面目に模倣したときに生じる違和感にたとえられます。
日本人が日本語のリズムで詠む俳句
─── なにわずに さくやこのはな ふゆごもり ───
外国人が外国語のリズムで詠む俳句
「ナニワツあるよニー! タクィャコーノパナあるよ!フユッコモリあるよ!」
日本語話者からすると、せっかくの日本語のリズムが崩れてしまい、美しさが破壊されたように感じます。それは日本人の心の冒涜と取られても致し方がないことでもあります。しかしながら、これは外国人が必死に日本語を真似しようとしている結果であり、ある意味では仕方のないことかも知れません。
しかし一方で、
「ワタチ!ニポンチンあるよ!」
もしもこのようにその外国人が『私は日本人です』と宣言しているとしたら、このような日本語の崩れは許容される範囲を超えてしまうでしょう。同じことが日本人の縦乗りが与える違和感にも当てはまります。
I play jazz!
ジャズは、米国が生み出した唯一の伝統文化です。ジャズは米国にとって特殊な意味を持つ音楽なのです。それは日本の俳句と同じくナショナリズムと深く結びついた概念でもあります。日本独自文化の俳句を詠むことと、米国独自文化ジャズを演奏することにはほぼ同じ意味合いがあります。つまり外人がジャズを演奏するということには、外人が俳句を詠むときと同じ深い覚悟が必要といえます。
日本人の縦乗りを残したまま、米国独自文化の横乗りの音楽をジャズ を『本格的に演奏する』と言い切る事は、米国人にとっては一種の冒涜といえます。
日本人の縦乗りを残したまま 本格ジャズ 本格ラップ 本格クラシック を謳ってしまうと、海外の人々からは強い違和感をもって受け止められるのです。
言語の根本にあるリズム感の違い
西洋音楽には様々な詩吟が存在します。詩吟は音程よりもその言語の持つリズムの美しさ自体が素材となった芸術文化と言えます。
詩吟は西洋だけに独特な文化ではありません。日本にも世界に誇る詩吟文化があります。それは俳句です。俳句は、日本語だけががもっているユニークなリズム感覚=モーラ拍リズムを軸にした詩吟文化です。
俳句の独特のリズム感が俳句自体の芸術性の大きな要素となっている様に、英語などの大半の外国語にはストレス拍リズムという独特のリズム感覚が存在します。世界中の多くの詩吟文化では、言語の違いはあれど、このストレス拍自体が詩吟という芸術表現の根本的な素材になっています。
日本人が、日本語のモーラ拍リズムの感覚のままクラシック、ジャズ等のストレス拍リズムに基づいた詩吟を演奏すると、外国人が日本語を不自然なリズムで俳句にしたような強烈な違和感を与えてしまうのです。しかも多くの場合、この違和感は日本人自身がほとんど意識していないところで常に生じています。
学問的に定義されている日本人のリズム感覚の違い
この日本語及び、英語フランス語ドイツ語等々の日本語以外のほぼ全ての言語の間に横たわる言語自体が持つリズム感の違いは、決して単なる気のせいなどではなく学術的に定義されています。この言語が持っているリズム感の違いのことを正式には拍リズムという呼びます。
- 日本語: モーラ拍リズム :言い換えれば、日本語は音の要素をモーラという均一な時間単位で区切る非常に特殊なリズム構造をもつ言語だと考えられています。世界的に見ると純粋なモーラ拍リズムを持つ言語は少なく、日本語しかないという説もあるほどです。
- 英語: ストレス拍リズム =強勢(ストレス)を置く箇所でリズムの拍が変化し、単語全体の音の長さやアクセント位置によりリズムが作られます。
こうしたリズム構造の違いが、日本人が感じない“欠落”を生み出し、それが縦乗りの正体となって現れるのです。
縦乗りは指摘しづらい
縦乗りはこうしてはっきりと世界の人々に違和感を与えていますが、世界の人々がそれを指摘することは稀です。縦乗りが公に指摘されないことには理由があります。
1. 公に批判しづらい風潮
まず、外国人が日本人の演奏に対して「変だ」とか「おかしい」と直接的に指摘しづらいのは、それが差別的な発言と取られる可能性があるからです。特に近年は、国際社会において「文化の違いを尊重する」という考え方が強く根付いており、他文化の表現方法を“批判”する行為が不寛容とみなされることが多くなっています。このため、もし演奏に違和感を覚えたとしても、それを堂々と口にすることは避けられがちです。
2. リズム感覚や表現方法の相違
日本の音楽、特にリズムの取り方には、欧米の音楽とは異なる「縦乗り」や「タテノリ」的な感覚があると指摘されることがあります。これは、ポップスやジャズ、ロックといった西洋由来のジャンルが持つ“横に流れるグルーヴ”とはやや違うものです。こうした独特のリズム感は、欧米的な耳からすると馴染みにくい場合があるため、違和感として捉えられることがあります。しかし、そうした意見を声高に主張すると、価値観の押し付けや偏見と受け取られかねないため、あまり表立って言われることは多くありません。
3. 批判する人々の動機
それでも一部の外国人がはっきりと「日本の音楽は変だ」と言及するのは、自分の素直な感覚を共有することで、相互理解や音楽的発展につながると考えているからかもしれません。彼らの多くは、単に苦言を呈するのではなく、「こういう部分を改善すればより良くなるのでは」という積極的な意図を持っている場合もあります。また、他国のリズム感や表現手法に慣れた経験豊富なミュージシャンや評論家ほど、より率直な意見を発信しがちです。
4. “縦乗りの音楽”を選ばない理由
一方で、「縦乗りの音楽がおかしい」とは直接言わないまでも、外国人が積極的にそれを選択しないことがあるのも事実です。これは単に「嫌い」というより、むしろ慣れの問題や好みの問題が大きく関係しています。幼い頃から身についた音楽の感覚や定番のリズムスタイルになじんでいるため、あえて“縦乗り”を取り入れた音楽に手を伸ばそうとはあまり思わないのです。要するに、彼らの無言の選択からも、聴き慣れたリズムや表現を好む傾向が読み取れます。
縦乗りがもたらす英語習得上のハードル
実は、縦乗りの存在は日本人にとって英語を習得する上でも大きな障壁になっています。英語を聞き取ったり話したりする際に、必要となる“発話や音声要素の順番”が、日本語のリズムをベースとする思考とは真逆に近い構造になっているからです。 たとえば、日本人が英語を聞き取ろうとする瞬間には、英語話者はすでに文章の重要な要素を言い終えてしまっていることがあり、逆に日本人が何かを言おうとした頃には、英語話者の感覚ではすべてが過ぎ去ったあと、というようなすれ違いが起きます。 多くの日本人が「英語の発音が聞き取れない」と感じるのは、実は音の質そのものではなく、英語特有の発話のリズムや順番を捉えられないからだともいえます。
分析のための概念
ここまで述べてきた、縦乗り(モーラ時間リズム)と横乗り(ストレス時間リズム)に起因する「順番」の違いをより具体的に理解するために、次のような概念を導入します。
- 裏拍先行と表拍先行
- 尻合わせと頭合わせ
- 裏拍基軸と表拍基軸
これらは西洋音楽や日本のリズム構造を分析するときに登場する用語であり、どのタイミングを基準に拍子を捉えるかという視点を示しています。
リズムの違いを引き起こす音韻学的要因
さらに音韻学(音声学・音韻論など)における下記の概念を使うことで、なぜこうした違いが生まれるのかを説明できます。
- モーラ時間リズム・ストレス時間リズム
- 多重子音
- 子音末子音
これらは言語ごとに特徴的に現れる音声の構造であり、日本語と英語で音や発話の並び方が大きく異なる要因となっています。
違いを埋め合わせる練習方法
最後に、こうした縦乗りと横乗りの違いを少しでも埋め合わせるための練習方法を紹介します。具体的には「声出しオフビートカウント」を軸にした、拍の細分化を声に出して習得する方法が有効です。
- macrodivision
- division
- subdivision
- microdivision
これらの練習を通じて、自分が普段意識していない拍の位置や裏拍の感覚を体得しやすくなります。日本語話者ならではのリズムの偏りを認識し、修正していくための方法のひとつといえるでしょう。
まとめ
縦乗りとは、日本語を母語とする日本人だけが陥りやすいリズム感覚の“欠落”を指す概念です。ただし、これは決して「悪」ではなく、外国人からは日本独自のエキゾチックな魅力として捉えられる場合も多々あります。一方で、クラシックやジャズ、R&Bなど、ストレス時間リズムを基盤にした音楽を“本格的”に模倣しようとしたときに、日本人の縦乗りが原因で強い違和感を与えてしまうことも事実です。
この違和感は、たとえるならば外国人が日本語を使って俳句を詠もうとしたときに生じるリズムのずれに近いといえます。日本語にはモーラ時間リズムという特別な性質があり、英語などのストレス時間リズムをもつ言語とは根本的にリズム構造が異なるからです。そのため、日本人にとっては当たり前の言語感覚が、英語話者には“リズムの抜け落ち”として認識される場合があります。これが音楽表現にも大きな影響を及ぼし、ひいては英語の習得面でもハードルとなってしまうわけです。
しかし、こうしたギャップを少しでも埋めるための方法として、オフビートカウントやリズム細分化の練習などが存在します。もしも“本格的な”英語リズムを身につけたい、あるいはジャズやクラシック、R&Bをより自然に演奏したいと願うのであれば、縦乗りと横乗りの違いを理解し、適切な練習を通じてその差を意識的に補う必要があるでしょう。