bak縦乗りについて
縦乗りとは何か
縦乗りとは、日本語を母語とする人々に特有の、リズム感覚の微妙で深刻なズレを表す概念です。このズレは、音楽、言語、身体感覚などのあらゆる場面で、常に世界中の人々に「何かがおかしい」と感じさせていますが、その違和感はとても言葉で表すことが難しく、世界中の人々をモヤモヤさせつづけています。
縦乗りは一見すると些細な問題に思えるかも知れません。しかし日本語を母語とする人々が全く意識していないにも関わらず、日本人の身体動作、時間認識、音楽演奏、英語発音、さらにはコミュニケーション全体に深い影響を与えています。
「縦乗り」とは文字通り「拍を縦に踏む」ようなリズムの演奏の仕方を指します。楽器を演奏する時などに、極端にビートを正確に区切り、表拍に重心を置き、タイミングを機械的に揃える傾向を表す概念です。一見正確で真面目な演奏方法と思えるかも知れませんが、ジャズやファンク、ソウルのようなジャンルの音楽に独特な「うねり」や「ノリ」が生まれにくくなります。このうねりの感覚の欠如を、私は「縦乗り」と呼んでいます。
なぜ日本人は縦乗りなのか
縦乗りは、単なる個人の資質や音楽の好みの問題ではありません。縦乗りは、日本語という言語が持つ発音構造や、日本社会の教育・文化的な背景に深く根ざした構造的な現象です。 縦乗りを起こす原因は大きく分けて4つあります。
言語的なタイミング構造
日本語は「モーラ拍リズム(mora-timed)」の言語です。すべての音節(正確にはモーラ)が、ほぼ均等な長さで発音されるため、リズムが機械的に並びがちになります。英語のように強勢や抑揚によってリズムが生まれる「ストレス拍リズム(stress-timed)」とは根本的に異なります。教育におけるリズム観
学校の音楽教育から企業の研修ビデオに至るまで、日本では「拍=等間隔の点列」として教えられます。スウィング、グルーヴ、ラッシング(早まる表現)・レイドバック(遅らせる表現)といった概念はほとんど紹介されません。文化的な同調圧力
リズムの「ズレ」や「間」の表現は、日本社会においてはしばしば「だらしなさ」「反抗」「情緒過多」と見なされます。結果として、人間的で自由なリズム表現よりも、「正確でズレない」演奏が高く評価される傾向にあります。音の終止と流れの抑圧
日本語では語末の子音や母音の引き伸ばしが避けられるため、発話の流れが常に切断されます。これにより、自然な「音のうねり」や「リズムの揺れ」が排除され、リズムの起伏に乏しい音楽や話し方が形成されます。
このハブの目的
このハブは、日本文化を否定するためにあるのではありません。むしろ、長年「なぜかしっくりこない」と感じていた音楽や英語の違和感に対して、名前を与えることが目的です。そして名前を得た違和感は、克服可能な課題になります。
縦乗りという見えないバイアスを知ることで、私たちは初めて:
裏拍を感じることができる
英語を「タイミング」で話せるようになる
世界の音楽的なノリやグルーヴと自然につながることができる
これは「アメリカ的になろう」という話ではありません。リズム的な自覚を取り戻すこと、そして、本来私たちの中に眠っている豊かな時間感覚を再発見することなのです。