リズムペディアにおける科学とは
このサイトは、筆者である私・岡敦がライフワークとして音楽と言語に関して研究・考察してきた成果をまとめたものです。
このサイトは、この10年以上にわたる海外放浪のなかで学んだタイ語・ラオス語の方言に関する知見をまとめる目的で開設した 「ブログ言語と音楽」 を前身として2025年に開設されました。
私は1992年より早稲田大学モダンジャズ研究会に所属し、ジャズ演奏に傾倒してきました。その後、1996年から2005年までシステムエンジニアとして勤務し、2005年から2017年までは海外を放浪しました。 ─── ブログ「言語と音楽」は、主に放浪期間中に執筆した記録でした。
そして海外放浪を終えて帰国した後、日本国内で再びジャズ演奏に取り組んだ際、私はひとつの壁に直面しました。海外では当たり前とされていたリズムに関する習慣を日本で再現しようとしたとき、想像もしなかった数々の困難と矛盾に直面したのです。 それらの問題は非常に示唆に富んでいました。私はこの問題に『縦乗り』という名前をつけました。以来、私は夢中になって縦乗りの分析を始めました。
この『縦乗り』分析は、当初は「ブログ言語と音楽」に記事としてまとめていましたが、数年のうちに50本を超える投稿が蓄積され、新たに「縦乗りを克服しようシリーズ」としてスピンアウトするに至りました。
そこから私はさらに探究を続け、気づけば2025年の現在、すでに8年が経過しています。この分析の範囲は、問題の定義、因果関係、文化論的背景、心理学的要因、社会構造としての文脈、そして音韻論を含む言語学的考察へと広がり、それに対する練習方法の理論化を経て、最終的には音楽理論として再構築されるまでに至りました。
つまりこのサイトは大学のような権威ある組織で作成されたものではありません。これらはあくまでも、私の個人的な研究内容の成果です。私は(色々な経緯はありますが)中卒です。当然、科学の肩書もなければ、学術機関の内部にいるわけでもありません。
しかし私は、物事に興味を持って観察し、疑問を持ち、それらを分析し、分析結果に基づいて仮説を作り、更にその仮説を実際にDAWで音源を作成することで実証し、さらにそれを批評するという行為を繰り返してきました。
これは、私が学生時代に出会って夢中になって読んだリチャードPファインマン氏の自伝 御冗談でしょう、ファインマンさん 上 / 同書 下 から影響を受けて身につけた姿勢です。
── これを、私はここで「科学」と呼びたいと思います。
このRhythmpediaにおいて「科学」とは、制度的な権威や白衣、肩書を意味するものではありません。 むしろ、それよりも古く、根源的な意味を持っています。
観察・推論・構造に基づき、真理を追究するための体系的な営み。
私がここで「科学」というとき、それは次のような姿勢を指します。
- 音楽、言語、文化の中にあるリズムを謙虚に観察すること。
- 実体験からパターンを見出し、論理に基づいて仮説を立てること。
- 現象を既存の理論に頼らず、全て自力で分析すること。
- そして何より、批判と対話を受け入れ、議論を通して洗練させていくこと。
この意味において、「科学」とは職業ではありません。それは方法であり、精神の訓練であり、知的誠実さの実践です。
たとえ対象が「グルーヴ」や「タイミング」や「日本語のリズム」といった曖昧で測定しづらいものであっても、感覚や慣習に流されず、出来る限り定量化し、飽くまでも理論的な構造として捉え直す ── この姿勢こそが、科学的であると私は考えています。
Rhythmpedia はこう宣言します:
- 学術機関に属さずとも、思考し、発信することはできる。
- 既存の理論では説明しきれない矛盾を探求し、恐れず言語化し、既存の理論に甘んじずにそれを解明する。
- リズムも、言語や論理と同じような明晰に分析できる対象である。
- リズムと同様にグルーヴにも構造があり、それは分析可能である。
これは科学の否定ではなく、むしろ回帰です。
世界を分析する権利は、全ての真剣な思考する人にある。
ご清聴ありがとうございました。